我が人生の記録

子3人、郊外にマイホーム、マイカーを持ち、時代に逆行してみます

自分が古い考え方なのでモヤモヤするが、どうすれば良いかな。

   

中間管理職で部下が数名いるが、特に若い部下に対してはどのうな対応をとればよいか困ることが多い。

なぜかというと、「仕事を通して自己実現する」ことに重きをおいて仕事を進めている。なので、自分が気に入らないことがあれば、一応仕事は進めているが、全然生産性や品質が低い。よく、「目的や意義を説明してあげてください」という指導があるが、会社の仕事の8割が目的や意義が明確ではない。要は無駄な仕事であるが、稟議や手続きなどを行うことでいかにも”正しく仕事をする”ことを正義としている。その結果多少問題がおきたり、コストが生じたとしても、”正しい”と思われることが重視される。

若い人は中途半端な米国流の考え方に汚染されて仕事をすすめる。特に目立つのがシリコンバレーのベンチャーや日本のベンチャーをもとにする考え方。しかしながら、シリコンバレーのベンチャーは自由ではない。とても重い責任を背負いながら、ただ、楽しみながら仕事をしている。それは挑戦しているから。挑戦をなぜ楽しめるかというと、失敗してもそれがハンデにならないからである。なぜ、失敗したのか!?それを次にどういかすのか?!それを説明できるのであればむしろ失敗しているヤツのほうが信用できる。これが大きな差。日本は失敗するとそれを取り返すのに100倍の努力がいる。だれも助けてくれないのである。

話がぐらついたが、なんとなく若い人の仕事の価値観として、仕事を通して自己実現をすること、オープンでピュアでシンプルが全てで、目的が明確でない仕事はする必要がない。という信念が強い気がする。ただ、言葉にすると、それは正しい。決して間違っていない。無駄なことはするべきではない。

ここで、昔「図書館戦争」という映画を見て胸に響いたセリフがある。

正論は正しい。だが、正論を振りかざすやつは正しくない

またとある友人の結婚式のスピーチで聞いた吉野弘も詞、「祝婚歌」でも同じようなニュアンスをの言葉を聞いた。

正しいことを言うときは少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい

そうである。みんな正しいことは何か知っている。ただ、それを変革できる立場に近づけば近づくほど、変革が難しいことを知る。その立場から遠いほどある意味”無責任”に変革を謳うことができる。だから正論を当たり前のように話すことができる。そして、年長者はその正論をやる前に「難しい」とジャッジする。お互い歩み寄りが必要であることは間違いないが、正論は正しいのだから相手も受け入れるべきだ!という理論は一刻もはやく修正してほしい。もちろんそれが適用される場もあると思うが、往々にして、正論の発言者は理論的に強く、敗者を生み出しかねない。

とめどなく書いてしまいましたが、やはり、正しいことがすべて正しいとは限らない。昨今では働き方改革などを中心とした無駄を削る方向性にあるが、そこで正論を振りかざされると、とうとう社内がおかしくなる。

なんとかして、気遣いの部分は後世にも伝承したい。

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