我が人生の記録

子3人、郊外にマイホーム、マイカーを持ち、時代に逆行してみます

「考える事」は保守的、「やってみて考える」が素晴らしい、という流れ

   

最近仕事をしていて、何か物事をすすめる際に「やってみて考える」が正しいような風潮がある。
ちょうどそんなときこのブログを発見。

やってみないとわからない-という思考停止

「やってみないとわからない」だから、試すんだ。そのことは間違いじゃない。確かにその通り。
立派な計画を立てても実行しなければ、1ミリも社会に影響を与えない。
頭でっかちにならずトライアンドエラーで、逐次修正しながら進めよう。
アジャイルにやっていきましょう。少しずつ小さく試していけば大丈夫。

そうそう、この感じ。どちらかと言えば自分は古風な仕事の進め方をします。なので、ここでいう「頭でっかちタイプ」です。何か企画するときはある程度仮説を立てて、想像の中で段取りを進めてみて、うまくいきそうか、そうでなさそうか・・・考えます。もちろんやってみないとわからないこともありそうだけど、そこはそこで「こうだ」と決めて、想像を進めます。

じゃあ、この「やってみないとわからない」という考え方が理解できないか!?というとそういうわけではありません。どちらかというと、一度はこの考え方に憧れて飛び込みました。でもやってみると今の組織ではうまくいかないことが多すぎて、つまりは、組織の成熟度が高くないとできない考え方、進め方だってことがよくわかった。それでいったん諦めた。

今はしっかり考える人材を育てようとしているんですよね。メール一本送るにも、文章を数行書くにも、相手の背景やその情報の利用シーン、相手に何を伝えたいか、伝えればいいのか。など。基本はこういったことを考えて仕事をすすめることで自分小さな決定をするために確かな根拠を説明できるようになってもらいたい。それがあっているかどうかはあんまり関係ない。「考えて」行動したという事実が大切である。「考えながら」行動したのではなく、「考えて」から行動するということである。

考えることが癖づいてくれば、徐々に考えながら動くことができてきそうな気がする。まだ実績は無いので、確証は無いが。結果がいつ出るかもわからない。個人の素養にもよる気がするし。でも、できることから始めなければ。若手を育てて、いつかいいチームを作りたい。

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